お疲れ様でございます。好き勝手言うだけです。秘書さんが用意してくれた僕の遊び場だからね!
タイトルの通りだよ
写真でも小説でもお絵描きでも、何かを作る、かっこよく言えば「表現する」趣味はそれ自体だけの趣味だととても成立しにくいものです。
写真撮りたい! → 何撮るの?
小説書きたい! → 何書くの?
絵を描きたい! → 何描くの?
特にこれは僕の観測範囲だと男性に多い現象で、技術的な面、機材面とかに傾倒してしまい、それで何をするって言うのが欠落していきます。
このレンズすげーいいわーとか、言い回しかっこえーなぁとか、この液タブがええんや、とかそう言うことです。
ちょっと考えれば分かるのですが、完成されたものを観る側に立った時、それがどれほどの意味を持つかと言うとほぼ伝わらないんです。せいぜい同好の方が気付いてくれるかな、くらい。
「表現する」と言う時点で実は二次的
写真によって、小説によって、絵によって「何か」を表現するんです。
自分が綺麗だと思う何かを 伝える
自分がかっこいいと思う世界を 伝える
自分が可愛いと思うキャラを 伝える
みたいな。そこに意思が見えないと「作品」と言うものは非常につまらないものになってしまいます。
創作はひとつの「言語」だとも言えます。同じ言語を操れる同士で見せ合っているときと「翻訳」が必要な相手に見せているときの違いを意識できなければ、自分が望んだ結果になりにくいわけです。
例えばTLのみんなが「いいね」を押す可愛らしい二次元キャラ、僕も可愛いとは思いますが元ネタを知らなかったりするのでただの可愛い絵なんですよね。余程他と隔絶した差がある絵でないと感動などはしません。ただ元ネタを知っていると「そのキャラにそのコス、わかっていますね!」みたいなのがあるわけじゃないですか。それが翻訳のいらない人たちです。
表現する以上観る側の存在は不可欠なので、自分がどう言うターゲットにそれを見せたいか? 見せられる場を持っているか? などによって表現方法を変えないと、本当に自分が見せたいものを見せられません。
つまり表現とはただの手段、スキルである
何か見せたい、訴えたいものがある場合、個々人ごとの伝え方があるわけです。たまたまそれが写真、小説、絵だった、となる人はその創作趣味がとても捗ることでしょう。
これを伝える為にはこの技術が必要、機材が必要、となるので効率がいいですねー。
もちろん、そんなの関係ないただ表現するだけだ、みたいなのも全くもって健全で、結構なことだと思います。共感や評価は得られにくいというだけの話です。
狭義の自己承認欲求とはちょっと違うんだよ
これも大事です。上述したことの理解がないまま創作趣味を拗らせると陥るのが「いいね依存症」です。あいつの投稿には「いいね」がついて、俺のにはつかない。というスタートから、いつの日か「いいね」をもらう事が目的化していってしまいます。
よく写真の業界ではインスタ映えばかり狙ってるなとか揶揄されますが他にもありますよね。なろうでは転生ばっかりとか。東方描いてればいいんだよ、みたいなそういう。あれ? 例え古いかな?
まぁそんなわけで自分が何かを伝えたい手段が「表現」なので、自己を承認してもらうと言えばしてもらうなんですが、そこに一段かましてある状態と、ただの自己承認欲求には大きな隔たりがあり、後者は不健全になりがちですよーみたいな事です。
創作趣味に限った話ではないけどね
目的と手段の混乱というか、そういうのはなんでもありますね。ただ創作趣味クラスタって拗らせ率が高いなぁって思ったので例にとりました。
仕事でも遊びでも、果たして最初の動機は何なのか? を忘れないで取り組みたいものです。
おやすみ。
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